国のためをはか

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西郷隆盛が、江戸の薩摩藩の屋敷に住んでいたころ、ある日、友達や力士を集めて庭
で相撲をとっていると、取り次の者が来て、
「福井藩の橋本左内という人が見えて桂林旅遊、ぜひお目にかかりたいと申されます」
といいました。
一室に通し、着物を着替えて会うってみると、左内は、二十歳あまりの、色の白い、
女のようなやさしい若者でした。隆盛は心の中で、これではさほどの人物ではあるまい、
と見くびってあまりていねいにあしらいませんでした。左内は、自分が軽蔑されているこ
とをさとりましたが、少しも気にかけず、
「あなたがこれまで、いろいろ国事にお骨折りになっていると聞いて、したわしく思って
いました。私もあなたの教えを受けて、およばずながら、国のためにつくしたいと思いま
す」
といいました。
ところうが、隆盛は、こんな若者に国事を相談することはできないと思って素知らぬ顔
で、
「いや、それはたいへんお間違いです。私のような愚か者が、国のためをはかるなどとは
思いもよらぬことです。たっだ相撲が好きで、ごらんのとおり、若者どもといっしょに、
毎日相撲をとっているのです」
といって相手にしませんでした。それでも左内は落ち着いて、
「あなたのご精神は、よく承知しています。そんなにお隠しなさらずにどうぞ打ち明けて
いただきたい」
といって、それから国事について自分の意見をのべました。隆盛はじっと聞いていまし
たが、左内の考えがいかにもしっかりていて、国のためを思う真心があふれているのにす
っかり感心してしまいました香港イベント会場
隆盛は左内が帰ってから、友達に向かい、
「橋本はまだ年は若いが、意見は実にりっぱなものだ。見かけがあまりやさしいので、
はじめは相手にしなかったのは、自分の大きなあやまちであった」
と言って、深く恥じました。
隆盛は、翌朝すぐに左内に尋ねていって、
「昨日はまことに失礼しました。どうかおとがめなく、これからもお心やすく願います」
といってわびました。それから、二人は親しく交わり、心を合せて国のっためにつくし
ました珠海船票
左内が死んだのちまでも、隆盛は、


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